風景画家波暮旅二、風景画と随想

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孤高の姿

孤高の姿   波暮 旅二 (1)

森や林、草原や海辺、田畑のある田舎道を彷徨しているとき、自然の風景はいつも多くのことを教えてくれる。

晩秋ころのことだった。枯れ草が覆う広い海辺に、かなり大きな一本の「しゆろ」の樹が枯れ果てたまま、太平洋の海原に向かって仁王立ちになっていた。

まるで巨大なドライフラワーのように、幹も葉も生きていた姿のままに枯れて力強い姿で立っているのである。荒涼とした海辺の枯れ野に、枯れ死してなお仁王立ちをつづけている「しゆろ」の樹に、私は不思議な感動ん覚えた。

「しゆろ」の樹がたった一本、天を突くように枯れてなお凛として立っている様子は、正に孤高を貫いた枯れ様、死に様である。我が身の最後も、このくらいカツコ良くいきたいものだと思っている。(2009/01/07)

木造の廃船   波暮 旅二(2)

10数年前のことである。理由もなく見知らぬ土地、地の果てまで行ってみたいという思いにかられ、車を運転して東北道をはしり、たどり着いたのが本州の北の果て下北半島の大間崎だった。私が住む千葉の鴨川市から1000キロの行程である。

大間崎から津軽海峡沿いに仏ケ浦に向かう途中で、薄がたなびく海辺の台地に、朽ちかけた大型の木造船が水平線に船首を向けて放置されていた。

その姿は、漁師を乗せて勇ましく、津軽海峡の荒波をものともせずに活躍していたころの己を思い起こして、目の前の津軽海峡を凝視しているように私には見えた。老いを自覚し始めた私にとって、この風景は実に重いものを感じさせられた。

ときがくれば、物は朽ちていき、人は老いていく。その後10年ほどたって木造の廃船があった現地を訪れてみた。船は朽ち果て、崩れるがままに木片が散在しているだけだった。(2009/01/07)

晩秋の海
波暮旅二「晩秋の海」
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